やりすぎた転入式の演出

いずれ劣らぬ個性豊かな転入生に予想以上の収穫があった反面、式そのものの演出は観客の期待から外れる場面が多々有った。

わが国のマスコミが広告モデルに依存したビジネスである関係で、マスコミの流す情報は賞賛する内容ばかり。更には進言と中傷の区別の出来ない方々も居られるから、個人も賞賛以外の発言をし辛い昨今の風潮がある。そんな訳で世間には右も左も賛否の賛だけが溢れかえる状況になっている。

無論、問題が無ければ褒めるだけで良いのは当然だ。しかし、問題が存在していたらどうすれば良いのだろうか?内容に関わらず、どんなイベントを行っても褒められてばかりでは職員室が勘違いしてさくら学院があらぬ方向へ行くかもしれない。そこで父兄の一人として、少々苦言を呈しておきたいと思う。


さくら学院の真髄は学園演劇

自ら「学園エンタテイメント」というように、さくら学院は学園演劇という理解が相応しい。台本があり、リハーサルを行ってから公演する演出されたパフォーマンスである。さくら学院は刑事ドラマかアンパンマンみたいなもので、分かりきった結果への過程を楽しむ予定調和なストーリーテリングと考えてもいい。

観客は自分の観たいものだけを見たいもの

さくら学院のコンセプト自体がフィクションであり、生徒・職員室・父兄の関係はアクトレス・プロデュース・オーディエンスを言い換えたものである。観客も作り物である事を百も承知で楽しむものだから、演出すること自体は全く問題ない。

とはいえ演出は上手くやらなければならない。仕掛けが見え透いていては観ている方は興醒めになってしまうからだ。

にも拘らず、今回の2015年度転入式は仕掛けが見えミエで演出が臭いものになってしまっていた。こう指摘するファンは運営側からすると細かすぎて困ったものだろうが、観客は「自分の観たいものだけを見たい」と願う勝手な存在なのだ。

どんな 失敗も許される・・但し生徒だけ

さくら学院の生徒たちに求められているのは「ひたむきさ」や「素直さ」であり、「キラキラした輝き」である。

10歳から15歳といえば子供だから失敗は当然・許される。挑戦した結果の失敗が嘲笑(ちょうしょう)されることは無く、むしろ微笑ましく(ほほえましく)感じられる。しかし、どんな失敗も許容される保護者的な温かい視線は専ら(もっぱら)生徒に向けられたものであり、職員室(運営側)には適用されない事を知っておくべきだ。


 ありえない演出に置き去りにされた観客

今回の転入式で繰り返された見え透いた演出に、まるで小馬鹿にされたような印象を受けた。運営側に観客を馬鹿にする積りが無いことは分かってはいるが、仕掛けが稚拙(ちせつ)過ぎで舐められている様な気持ちになったのだ。

以下に具体例を挙げて説明する。

HR~転入生紹介~

冒頭は「どんな後輩が入ってくるか楽しみ」と生徒がワクワクしているという場面。さくら学院の転入生はかなり以前から決定しており、転入式のおよそ1ヶ月前から在校生と合同でレッスンを実施している事は周知である。にも関わらず、在校生に「転入生をまだ見ていない」と言わせた展開は受け入れがたい無理がある。

転入生紹介前の寸劇も、転入生が誰かを知っているであろう生徒に知らないフリをさせる展開には違和感が拭えない。この場面、そんな客席の空気を察した森氏は「純粋な気持ちで転入生を迎える・・と」懸命に修正しようとしていたが徒労だったと思う。

森先生は大人なので嘘も方便と考えてよい。しかし、父兄にとって穢れの無いピュアな存在である生徒に嘘を言わせるのは間違いだ。

倉島 颯良のパフォーマンス

倉島 颯良の演技は観客にどう感じてもらいたいのか理解できずに乗りそこなった。これは本人の意識の問題ではないかと思う。大体において倉島は観客ではなく森先生を向いて演技するから、観客は投げかけを受け取れていないまま進行してゆく。そうすると演技に対して「どう反応したらいいのか」分からないのだ。

4月6日のLoGirlにて

4月6日のLoGirlにて

観客(カメラ)の方を向かない傾向は転入式だけでなくLoGirlでも頻繁に現れる。カメラ目線をしないという指摘ではなく、正面(観客側)に顔を向けていないという話。このアイ・コンタクトによるコミュニケーションが行われない点が、観る者に倉島 颯良のキャラクターが伝わり辛い一因ともなっている。

【画像】「今年ははっちゃけて行く」と宣言する倉島 颯良。視線はほぼ森先生に固定されている。

これではいけないから、観客に意識を向けて演技をするように指導したほうが良いと思う。

大賀 咲希のパフォーマンス

大賀 咲希の「しずくちゃん」は彼女のカラーも出ており、イベントの単調化を回避する要素として理解できる。卒業後の進路に女優を選ぶのであれば、客の前でも失敗が許される在学中に色々チャレンジさせて欲しい。

山出 愛子のネタばらし

台本の存在を暴露した山出 愛子は正直な子なのだろう。観客もそれは分かっているので無理に隠す必要は無い。却って「全てここで起こっている」などと大声で言う森先生の方が不自然な印象を受けた。

転入生の紹介

転入生紹介そのものは「(森先生)・・では在校生に転入生を紹介してもらいましょう。上手くやれるかなー?」などとシンプルに在校生による転入生紹介をメインに演出し、展開のヤマを生徒による転入生紹介に持っていった方が生徒の能力と個性を披露する機会にもなり良かったのではないか。

歌の披露 「♪負けるな!青春ヒザコゾウ」「FRIENDS」など

転入生紹介の直後に12名に増えた全生徒で歌う設定は「生徒は転入生が誰であるかを知らされていなかった」としていた先の流れとリンクしていない。この展開が大いに不自然な為、同調するには無理があった。

「そんなの分かってるだろう?」と言われそうだ。しかし、「生徒は転入生を知らない」という先の設定は虚偽だとすると「生徒が嘘をついた」ことになってしまうジレンマが存在する為、生徒を庇いたい(かばいたい)父兄は無意識に距離を置いてしまうのだ。

こう考えている時間は最初の何分かだけなので最後まで気持ちが入れない訳ではないが、最初から入れた方が良いに決まっている。

さくら学院2015年度 生徒総会

この場面では「事前に役職は知らされていなかった」という設定に違和感がある。

白井 沙樹のトーク委員長と大賀 咲希の教育委員長は知らなかったとの印象を受けたので問題ない。しかし、人が集団で嘘を演じるのは難しいものである。磯野 莉音は違うだろう?

あの場面では磯野 莉音が生徒会長に任じられると知らされていたことが見えミエだ。事前に生徒会長としての練習まで行っていたであろうに、見え透いた演技が繰り広げられるのは見るに堪えなかった。生徒に嘘をつかせる事はさくら学院が最も避けなければならない行為と思う父兄は、果たして筆者だけだろうか。

こんな演出よりも倉本校長が「今年度の生徒会は・・です」と役職を任じるメンバーを発表し、「練習してきました」と成果を披露する展開の方が自然で父兄も違和感無く没入できるというものだ。


2015年度の転入式は総じて過剰な演出が目立つイベントとの印象を受けた。もしや運営は知恵に溺れては居まいか。さくら学院の財産である生徒達に光を当てることが仕事なのだと、基本に立ち返って考えていただきたいと思う。

2件のフィードバック

  1. Shin Shin より:

    kamkam様 遅レスになってすみません。

    さくら学院は、3月に卒業生を送り出すときに「送辞」を述べた生徒が、例外なく次年度の生徒会長に任じられています。

    それからすると、(もあ・ゆい達の)2014年度卒業式で送辞を担当した磯野莉音が2015年度の生徒会長に就任することは既定事実化していたと、考えて良いのではないでしょうか。

    「磯野が生徒会長」と伝えられていなくとも、気持ちの準備はしておくべき状況にあったと思われます。

    細かくなりますが転入式直後にオンエアーされたLoGIRLで、大賀咲希が「(どの役職になるか分からないので)過去に有ったすべての役職のスピーチを練習していた」と発言した際、森先生から「では生徒会長も?」と問われ返答に窮した場面がありました。
    筆者の全くの想像ですが、大賀は「生徒会長の線は無い」と分かっていたように感じられました。

  2. kamkam より:

    本年度の転入式は直接は見ていないのですが磯野のリアクションが用意周到だったということでしょうか?
    後のインタビューで磯野が本当に知らなかったようなコトを話していますが、実際のところどうだったんでしょうね。
    本当は知っていたとしたら、舞台上ではともかくインタビューなどでも嘘をつかせるというのは、かなりいやな気分になりますね。磯野ならやりかねないという気にもなりますが。

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