さくら学院の設立経緯研究

さくら学院の設立経緯研究

さくら学院 初期メンバー8名

さくら学院 設立当時の在校生8名

向かって左から、佐藤 日向・堀内 まり菜・杉崎寧々・飯田 來麗・武藤 彩未・中元すず香・松井 愛莉・三吉 彩花
  1. 2009年までに、2003年から2006年までアミューズのアイドルグループとして運営されていたBEE-HIVEの後継企画がエグゼクティブ・プロデューサーである千葉伸大氏を中心に検討されていた。
  2. 千葉氏の着想を基に将来を見越した育成機関として考案されたアイドルグループを設立することとした。
  3. 準備段階としてアミューズKIDSにおいて歌とダンスのレッスンを2009年から約1年間実施。遠隔地に住む中元すず香(広島県)と松井 愛莉(福島県)は他のメンバーと同時にレッスンが受けられず、別の機会に二人だけで受ける事があった。菊地 最愛は大阪でもレッスンを受けていた。
  4. アミューズKIDS所属メンバーの中から歌とダンスのアイドル・グループである「さくら学院」へ加入希望する者をピックアップ。レッスンを兼ねたオーディションを定期的に開催し、合格者10名を決定した。
  5. さくら学院内の派生ユニットを部活動と称し考案。()内は所属メンバー。太字は部長。
    a.バトン部 Twinklestars
    武藤 彩未、杉崎寧々、飯田 來麗、堀内 まり菜、佐藤 日向、菊地 最愛、水野 由結)
    ※センター(武藤 彩未)が固定となっていた、さくら学院では異例のフォーメーションのユニット。
    b.帰宅部 sleepiece
    飯田 來麗、杉崎寧々、堀内 まり菜)
    ※ミニパティを取り上げられた3名で新たに構成されたユニット。
    c.新聞部 SCOOPERS
    三吉 彩花、松井 愛莉)
    d.重音部 BABYMETAL
    中元すず香、菊地 最愛、水野 由結)
    ※メタル×アイドル構想によるユニット。プロデューサーの小林氏によって中元すず香を中心に考案。
    e.クッキング部 ミニパティ(初代)
    (堀内 まり菜、杉崎寧々、飯田 來麗)
    ※さくら学院設立以前2009年4月から存在。農林水産省「ららら農業プロジェクト」として企画されたユニット。
  6. 当初、メンバーは10人全員同時デビューと伝えられていた。しかしデビュー直前になって年少(小等部5年生)の菊地 最愛と水野 由結は転入生となり、残る8名を在校生と変更した。2名を除外した理由は転入生制度を導入して学校らしさを演出する為と思われる。
  7. 2010年4月、在校生8名で開校。当初はステージ出演が無く、取材などメディア露出のみ行っていた。
  8. 2010年8月7日、在校生8名に菊地 最愛と水野 由結の転入生2名を加えた10名がTOKYO IDOL FESTIVAL 2010に出演。このイベント出演が初めてのステージとなった
  9. 2011年11月23日 倉本美津留氏が校長に就任。

「さくら学院ができる前は、アミューズKIDSの子が月に1回歌やダンスを教えてもらうレッスンがあったんです。そのレッスンが1年ぐらいあった後、グループを作るという話になって。『やりたい』って答えた子の中から、メンバーが選ばれて・・・みたいな」

(菊池最愛)・・合流したのは由結より遅かったんですよ。名古屋に住んでたから、東京と大阪の(両方で行われる)レッスンに通ってて、
グラビア ザテレビジョンVol38

初期メンバー10人は学年が違っても全員が同じ立場だったというが・・

(菊池最愛)「・・始まった時に知らない間に8人が撮影してて・・いつの間にか由結と最愛だけ転入生ってことになってた」「TIFがさくら学院の初ステージだったんですよ。それが初めてのステージなのに転入生として紹介されて」
グラビア ザテレビジョンVol38

こ の様に複雑な構成になった理由の一つに、過去に同じ事務所が運営していたアイドル育成ユニットBEE HIVEが不成功に終わった事が影響していると思われる。当 時・寮生活していた所属ユニットの一つであるperfumeのあーちゃんが後日語ったところによる と、(売れないために)「何時・故郷に返されるか気が気でなかった」という。実際に売れずに解散させられたグループもあり、アミューズを解雇されて寂しく故郷に帰った仲間がいた。(パ フォーマンスレベルは年齢不相応といえるほど高かった。時代を先取りしすぎていたとか、アミューズが箱売りに拘ったことがBEE HIVE失敗の原因とかいわれている。)

【動画】在りし日のBEE HIVE (perfumeは3分ごろ)


設立1年前からオーディション

さくら学院設立の1年前(2009年度の夏ごろ)からオーディションを兼ねたレッスンが定期的に実施され ていたことが分かっている。中元すず香は月1回の間隔で、課題曲を覚えて歌とダンスを披露する形式のオーディションに通っていた。当時さくら学院のオーディションで彼女の歌に接した佐藤 日向は「この細い体からどうやったらこんなに力強くて透き通ったキレイな声がでるんだろう・・・」と、ものすごい感動したと後に語っている。

中元すず香は夏休みの終わりと共にパッタリと呼ばれなくなり、半年後の2010年1月に呼び出される迄さくら 学院の選考には落ちたと思い込んでいた。

ドタバタした設立

こういったプロジェクトの場合、メディアでは何ヶ月も前から情報が流れるものである。ところが、さくら学院の情報公開は2010年2月になってからと2010年4月の設立まで僅かしか間が無く、直近まで内容が固まらなかったようだ。大手事務所にしてはドタバタ過ぎる事から、さくら学院は難産だったのではないか。

研究発表: さくら学院生徒の加入経緯研究